今日が今回の峠かも そして峠を越えたかも

皆さんこんにちは。

あまねです。

ご縁あっていまこのページをご覧の皆さま、

本日もお読みくださり。

本当にありがとうございます。

昨日無事円さん整理収納アドバイザー1級の一次試験を無事合格しました。

いよいよ2次に向けて気合もひとしおです。

そんな中僕も今日は「今日が今回の峠かな?」と思えるような気づきがありました。そして、それを無事越えられたような気がします。

昨日の作業の終わりの方で、円さんは僕に確認を取らずに、クリアーファイルの整理というか処分を始めました。これは整理収納アドバイザーとしてはあるまじき行為なはずなんです。

整理収納アドバイザーはクライアントに寄り添い、許可なく捨てるなどもってのほか。でも、昨日僕の眼の前で行われていた行為はまさにその越権行為だったのです。

じゃあなぜ昨日の時点で「やめてよ~」って言わなかったのかというツッコミが入るところですが、そうなんです。心の中では「円さん何するんだ~ あ~ それは捨てちゃだめ~」みたいな心苦しい気持ちになっていたのですが、「ここは荒行を実行してくれいるのかもしれない」という信頼感もあり、僕もあえて言わなかったのでした。

でもその日の日報には「あのクリアーファイルは六千円くらいするのに」みたいな恨めしい気持ちも刻んでしまっていました。

そういうちょっと悶々とする中で、朝からも真奈美さんに「これどう思う?」みたいな感じで昨日のことを話したりもしました。「クライアントに寄り添う」が、「クライアント自身が納得して捨てるか残すかを決めるまでゆっくりと待つ」という意味なのか「クライアントのこれから変わっていきたいという願望に寄り添う」のか。整理収納アドバイザーの立場はどっちなのか。両方を探りながら作業を進めているのならかなり大変なお役目じゃないのかなあ、思いながら、早速出社してきた円さんに話を振りました。

やっぱり確信犯的にあれは行ったということでした。整理収納アドバイザーとしてもやっちゃいけないことでした。

でも、やった理由としては

・スケジュールが決まっているので進められることは進めないといけない

・クリアーファイルの整理は前回の部屋を移動する時も私がしたが、全然ファイルが減るどころか逆に増えている。そんなたくさんにいらないのであれば十分余裕のあるストックは流石に残すけど、それ以外の気持ちの上がらない古いファイルはもう捨てていいんじゃないか

・整理収納アドバイザーとしてはアウトだけど、人の心をクリアーにするヘドロキャッチャーの立場としてはありな行為だと思った

・もし本当にやめてほしいならやってる最中に「やめて」というはず

そのような理由があったからだと説明してくれました。

僕が円さんならそういう理由を説明しないでやったかなと思うと、きっと説明してからやったと思います。そう思うとそこはさすが円さんだなあと思いました。そうでなければ昨日からのモヤモヤやザワザワはこんなに感じられなかったんじゃないかと思います。

「汚れは浮かさないと取れない。」僕たちの心のゴミ(独りよがりのこだわりとか)もショックを受けたりすることで浮上するので、そのシンドさを乗り越えれば浮かんできたのもを取るだけなんですね。

事実確認が終わったら今度はそれについての僕の気持ちを聞いてもらう番です。

整理収納って片付ける作業ではなく「ものと向き合う姿勢」だとか「今まで自分でも自覚していなかった自分の考え方の癖」に出会ったりするので、それにちゃんと向き合わないといけないときは手を止めて話を聞いてもらいます。そういう自分の癖に自分で気づくという時間が必要になってきます。

今回のざわつきはクリアーファイルについてではなくもっと根本的な何かなんだろうなと思いました。

その対話の中で気がついたことは、「今必要ではなくてもいつか必要になるかも知れないものが手元にないことへの不安」がものをキープさせることにつながっているということでした。過食症とかの心境に似ているのかも知れません。

心屋さんのブログでお菓子を食べるのをやめられなかった人が

今日もやめれなかったダメな私…って責めるのやめて
「どうせ私は健康だし!何食べても私は健康そのもの」
これをしつこいくらい言い続けてました

https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12442872313.html

という投稿を今日見たのですが、今回は僕にとってもまさしくそんな話です。

それに加えて僕自身にもともと「フライング人生を送りがち」というこれまた行動の癖があります。頭の回転が速い(自分のブログなので好きに書きます)ので、あることに対して極めていくための段取りがすぐに見えてきます。初級の勉強も終わっていないのに上級編の教材をとりあえず買っておくみたいなところに妙に気が回りやすいです。起業家体質なのもありますが

残念ながら「必要なときになかったらどうしよう?」の思いが大きすぎるのです。

その不安に対して円さんは

「天根さんは普段からいろんな情報をゲットして日々の暮らしを良くしていることがいっぱいあるのに、見つけられない方にばかり目が行くんですね。もっと出来る自分のことを褒めてあげないと。

私なんか普段ポンコツだからなにかいい情報でも見つけた日にはみんなに「聞いて聞いて、褒めて褒めて」っていいますからね。いつか必要なときと言ってますけど、そんないつかは永遠に来ないかもしれませんし、天根さんの情報収集力ならいざそんな情報が必要になったときはきっと見つけることが出来ますよ。

と言われました。

ちょっとデジャブーになるのですが、そう言えば保存しているチラシを残すか捨てるかの話をした時に「何かを作るときはきっとネットとかで調べるからそんな保存してあるようなものはどこにあったの分からなくなってますから捨てましょう。」と言われたのを思い出しました。

そう言えば、「いったん全部処分してそれでもいる本はもう一度買えばいいんとちがいますか?」と本の整理の時にも言われていました。

前回もそれに賛同してチラシは捨てたのに、やっぱり自分のモノにはまだ出来ていなかった。腹落ちさせれてなかったんだなと思いました。

じゃあ前回と今回の違いってなんだろうと考えると、「自分の優れた情報収集力」というのに自負を持てていなかったところにあるんだなと思いました。

自分はITの知識を持ってして世の中にデビューしたので、「皆が出来ない知らないことをいち早く知ってそれを伝えたり代行することで必要とされる人材である」というところが自分の売りでありました。

もう二十年以上そんなことをしているので情報の見つけ方は得意です。

自分は調べてれ当たり前。お客さんにとっても天根さんは調べられて当たり前。そういう関係性の中でいろことが普通なので、「それでも調べられなかったらどうしよう?」という方に目が行ってしまっていました。

それに輪をかけるのが僕の生きて生きた時代の影響。

僕の時代は受験戦争と言われた時代の真っ只中。小学校4年から浪人までの10年間。ひたすら自分のはじき出した点数で自分を評価しておまけにやっていたクラブも陸上の個人プレーの記録という数値の世界。その中でどんなに頑張っても自分より点数の上の人がいて、今自分がどれだけいい点数をとっても「いや、まだまだ自分の上には人がいる」と思って自分を褒めたり労う前に「もっと頑張らないと」と思って過ごした10年がやっぱり今の自分を形成しているのだなと思いました。

そう言えば、高3の時には基礎もできてないのに難しい問題を解こうとして歯が立たずすぐに答えを見て解けたようなふりをしていたので、大学受験に失敗したのでした。

そして浪人の時は基礎の勉強ばかり(後にあなたが言っている基礎は全然世の中では基礎の部類に入らないと言われましたが)してそれで志望校に合格できたこともすっかり忘れてます。またそういうフライング&足し算人生を送っていることになってしまっていたなんて…

この話をお昼の時間に真奈美さんも含めてあらためて3人で話していたら、「天根さんのお母さんがそういう準備をずいぶん前々からする人だから」ということを言われました。

自分は母親のことを父に頼ってばかりでちょっと間の抜けた人だと思っていたのですが、血縁以外の人から見るとそうなんだなと思いました。

そしたらそんな母親の影響も大きく無意識で受けている可能性も大きいですね。

作業は全然進まなかったのですが、今回の整理収納の自分の心の峠はここなんだなと思いました。

「自分をすぐ褒め称えられるのは自分しかいないんですよ」

「天根さんのこともうこれ以上何も頑張らなくても素敵だと思っている人はたくさんいますよ」

「なんなら、そんな人集まって来てもらって天根を褒めたたえる会を開かれたらどうですか?」

「それなのに、まだ何かを身につけないといけないと思ってるんですよ」

などと矢継ぎ早に普段自分は見ようとしていない自分の評価についていろいろと円さんは助言をしてくれました。

本当に今日は頭が真っ白になりました。

本当に小4からだとしたらもう35年くらい自分の出来ていることは横においておいて出来ないことにばかり注目しているんです。

昨日から停滞している作業にお坊さん関係の書類の整理というのがあります。

お坊さん歴ももう20年以上

京都に住んでいる時は学ぶ機会も多く、たくさんの勉強会に参加していました。

その時の資料が山ほどあるんです。

でも、そういう資料を見ても内容は全然思い出せない笑

でも、「また勉強する機会があったら」、とか、「これから勉強をしてきっとこの資料が必要になる時がある」みたいな思いで資料を見だすと全然捨てられないんです。

これを

・今良く内容が分かっていて時々振り返りたいもの

・内容というよりは思い出として残しておきたいもの

という2つに限定してあとは

・また興味が湧いてきて勉強したくなったらその捨てた資料もきっと手元にやってくる

って信じて整理の作業を始めようと思っています。

円さんがクリアーファイルの整理に対して言い放った言葉が「気分が上がるファイルだけ残す」でした。

この言葉はちょっとびっくり僕にはない言葉でした。

「気分が上がる」は円さんの口からは何度も出てくる言葉です

・気分が上がる部屋

・気分の上がるものしか置かない

・色は天根さんの気分の上がる色にしてください

自分が所有するものを気分が上がるものだけにする

あとのものはこの時代手放してもどこからから入手できる

だって僕はとっても優れた情報収集力があるんだもん

そんな自分だと思いたくなりました。

僕が昔とても影響を受けた人と一緒に作ったクリアーファイルがあったのですが、

「あんなテンションの下がる字ばっかり書いてるクリアーファイル気持ちが悪すぎる」と昨日の円さん

ああ、なんて素敵な手放し方かなと思いました。

もう再販はないだろうと思って大事に残していたつもりだったのですが、

本当に欲しくなったらその人に「もう一度作って欲しい」って

言えばいいんだと思いました。

確かにそのファイルは中身が見えなくて使いにくい 今あることが是なのか非なのかだけ

そんなことを今日は話しながら昨日のセッションで「自分ひとりでのものづくり」って言われたことを思い出しました。

今までの自分のやってきたことは常に人と関わり、人のニーズに応じる形で行ってきたことばかり。

悪い言い方をすれば頼まれたからじゃあ俺様がやってあげようという上から目線のやり方。

でも、自己満足で自分の独りよがりの物売りもしたくないなあとも思っていました。

話は少し遡るのですが先日4スタンス理論のお話に来てくださった講師の方を見て、とっても自分もこういう関係性で自分の知っていることを話したいなと思いました

この「自分ひとりでのものづくり」ってひょっとしたら自分の評価を生の声で聞こえたりお金として感じられたりするとっても素敵な場なんじゃないかなと気づきました。

それをやる時期がいま来たのだと思います。

さて、部屋の話に戻ると「今本当に仕事にいるもは何か」だけを今厳選しています。

かなりのものを部屋から出しましたが、まだ一度も支障をきたしたことがありません。

最初は4分の一の減量のつもりでしたがひょっとしたら十分の一くらいに圧縮できるのかも知れません

「動いてその状態を見ないと上がらないテンションもあります」と円さんにお尻を叩かれています。

今日は興奮していっぱい書いてしまいました。

情報収集力のある自分
分析力のある自分
言語化能力のある自分

ずっと放置していてごめんなさい。あることを意識することで豊かさがもたらされるのだと思います。これからそんな自分の持てる力をもっと意識化して豊かな人生を歩んでいけるんだと思えました。

ああ、本当に気づけるって幸せなことだと思います。

そんな具体的なことを抽象的に書くとこうなります。

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