平成の終わりに

皆さんこんにちは。

あまねです。

ご縁あっていまこのページをご覧の皆さま、

本日もお読みくださり。

本当にありがとうございます。

今日で平成も終わりですね。なので、今日は平成の統括というかなんかここ1週間で起きたこと気づいたことそんなことを書いておきます。

僕は勉強が好きでした。好きなので当然成績はいいです。学校では賢い人が注目を浴びます。注目をあびると自信がつきます。自信がつくとイキイキとリーダーシップを発揮するような立場にもなります。

これって小学校なら分かるんです。1年生から少なくともなんかしらのテストとかもあるのですから。

でも、リーダーシップを発揮するでいうと僕は幼稚園から発揮していたような記憶があります。となると最初の定義は違ってくる。リーダーシップを生まれつき発揮する人がいるということになる。

転校する小学校4年生まではとっても人気者で、そのことも当然だと思えていました。幸せな生き方。

4年生で転校して、そんな人気者が全く自分を知らない社会に入っていく。やはり緊張。転校当日に何人かの同級生が遊びに来てくれたような記憶もあります。

その頃すでに塾に通っていました。奈良県でも有名な塾。転校前は近かったけど、転校後は小一時間かかるようになりました。めちゃくちゃスパルタで恐怖感や緊張感で軽く洗脳されていました。

相変わらず勉強はできるし、少しづつ転校前の自分らしさも取り戻しつつありまた人気者だったのかな。あまり良く覚えてません。でも、ある時から急に数名の男子生徒から無視をされるようになりました。

僕は塾に洗脳されていて「他のことを排除しても受験勉強をしている自分は善」と思っていたので、そういう態度が鼻持ちならなかったのかなと思います。

そんな無視していた友達が私立中学の入試を受けに来ていて、「やっぱ、受験するんじゃん」なんて思ったことは記憶にあります。

なぜか、小学校の最後の成績はオール5でした。音楽も体育も。なぜそうだったのかよく思い出せません。

そして中学から私立の6年制の男子校。中間試験から成績順で順位の付く世界。僕は第一志望の中学には不合格で、第2志望の中学に行きました。最初の中学の中間試験の順位だけ覚えていてそれは14番。その時の大学の合格者数から14番を数えると京大に入る。全く実感はないけど、一安心したのを覚えています。

そこからのこともいろいろ書こうと思えば書けますが、まあまたの機会にしてそんなバックボーンをもう振り返らなくていいようなことが平成最後に起きました。

それは会社の社内ミーティング。

といっても3人だけなんですけど。

いろいろ僕の不満をみんなにぶちまけるような形になったのですが、その根拠が、自分が京都の会社経営時代に受けた出来事のせいだというようなところで2人への同情や理解を求めていたんです。そんなことがあったからなかなか社員を信じられない。離れていくのが怖いというような話を。

その時はそれで良かったのですが、その後なんかでも腑に落ちない。「どうして困っていたら自分で抱えてしまってシェアしてくれないのですか?」という訴えに心の中ではものすごく嫌悪感を発してしまっている。これは一体何だろう。「そんなのできるならとっくにしている。それができないから、その困っている僕を察して助けてほしいの」という心の声が幾度となくリフレインされてました。

それでねやっと気づいたんです。さっき小学校でいじめにあった話をしましたが、そのことは誰にも相談できなかったんですね。特に親には。親は両親とも学校の先生で、自分の子どもがいじめられてるなんて知ったら特に母親はそうとうショックなんじゃないかなって思って、なので、このいじめは1人で乗り切ろうって決めたんだと思います。

そしてなんとか卒業までには終焉を迎えた。それは自分への自信にはなったのかもしれないけど、その時の我慢の感情が昇華されずに残っていた。

京都の会社で受けた出来事も、それ以外のあのことも、このことも、絶体絶命になるようなことが起きるのは、その時の弱音を押し込んだことを思い出して欲しかったからじゃないのかなって気づいたんです。

「追い詰められるよな惨状と誰かに胸の内を吐露する」というのがセットで度々自分の身に起きていたのですが、その謎がやっと解けたような気がしました。

自分の力で乗り越えられたことだけではなく、その時の身につまされる様な悲しく寂しい気持ちにも光を当てて欲しかったという自分からのメッセージにずっと気付いて欲しかったんじゃないかと思いました。

ひょっとしたらそのいじめの時も両親が手を差し伸べてくれていたのかもしれません。心配してくれたのかもしれません。でも記憶の中では誰も気付いてくれず、自分で向き合って自分で乗り越えた。ある日突然手のひらを返したように無視しだした友だちを見て、とっても恐怖を感じた。

自分が嫌われないように過剰に人のために尽くしたり、そういうことをすることで、逆に他人に自分の困っていることを察してほしいと望んだりしていることはきっとその体験が根っこにあるからなんじゃないかということがようやくこの平成の終焉を前に気づけたのではないかと思いました。

そんな僕が昨夜までお寺に滞在していたベルギーの人を関空まで車で送っていきました。

ああ、これは過剰サービスなのか?最寄り駅までで良かったのか?変に気を使って実費を払わせることにならないのか?そんなことをいろいろ考えながらも往復3時間のドライブをしてきました。

帰ってきてなんだかとても疲れてしまって、お昼寝をしていました。

「こんなのもこの平成最後で終わりかな?それとも僕はこういう性分からは抜け出せないのかな?まあ、どっちでもいいや。でも、そのことと小学校のいじめの体験とはもう繋がりはない。」

そう思えたので、なんかこれからやっと自分らしく別に拒絶されることも厭わずに生きていけるんじゃないかなと思えました。

お金に対する苦手意識がどうしても取り拭えなかったのですが、きっと、この「自分を惨状に追い込むために仕組まれていた設定」だったんだと思うと、きっともうこれからも卒業できるような気がしてそれがとてもうれしいです。

母親を悲しませたくないももうそろそろ卒業です。

この前友だちと話していて母親はどんなことがあっても子どもを守ってくれるんだなと思いました。いじめられていることを悲しんだかもしれないけど打ち明けていたらきっと助けに乗ってくれていたんだろうな。

 

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