皆さんこんにちは。
あまねです。
ご縁あっていまこのページをご覧の皆さま、
本日もお読みくださり。
本当にありがとうございます。
今日は朝から円さんが出勤だったので10時から15時過ぎまで途中来客もありましたが、整理収納作業を進めていきました。
今の所目下の目標はまずこの部屋をいったん空っぽにすることになりました。「たとえ同じように家具の配置を戻したとしても、一度天根さんにこの部屋になにもない状態を見えもらいたい」というのが円さんの意図するところのようです。
円さんもいるので二手に分かれて「僕が仕分けしながら移動させる」のと「円さんが中身の仕分けをせずにボックス自体を物理的に移動させる」のを並行して行いました。
その作業スピードのぜんぜん違うこと。整理するのと移動させるのでは全然違います。移動だけのま円さんの方はどんどん物が減っていきますが、選別している僕の方はそれに比べるとスピードは劣りますし、エネルギーの消耗も激しいです。
もちろん円さんも僕の仕分けに付き合ってもくれているのですが、潔く捨てるための守護神みたいです。今まで捨てられなかったものの一つに「参考になりそうなチラシ類」があります。「私もそれを置いておきたいのは分かります。でも実際に何か作るときはネットで検索したりするんですよね。それにいつも新しいものが作られていってます。」そうなんです。これも分かっているけど今までは捨てられなかったです。それが必要な仕事なんて将来やってこないかもしれない。けど、ひょっとしたら来た時にこれは使えるかも知れない。全然今を生きている人間の発言ではないですよね。こういうことを潔く手放せる自分になった時にどんな世界が見えるのかワクワクしています。
でも、同時に少しづつ物が減ってきて何か本当に自分に必要なものがなくなっていく(必要じゃなかったのに)寂しさも感じるようになって来ています。なんか本当に何もなくなってしまうのではないだろうかみたいな。
今日の円さんに言われたことで心に残っている言葉の一つは、「今天根さんがこれを整理して区分けしなければ、結局天根さんが亡くなったあとに残された人に先送りするだけですよ」という言葉でした。
自分で買って、自分で残しているものなのに、その行方を自分以外のものに委ねようとする。まあなんて無責任なのでしょうね。
そして今日は出来ませんでしたが、僕はものすごい量のケーブルを持っています。まるで昔の人が広告の裏が無地のものを「メモ帳になる」といって残しているように、本体などを処分したあとのケーブル類を残してしまっています。今はコードレスでwifiやブルートゥースがある時代なのにどしても線への愛着があります。
何かの作業をしていた時に必要なケーブルがなかったり、断線して使えなくなった苦々しい思い出もあるのでしょう。
思い出が選択を支配しているのであれば新しい考え方を再インストールしなければなりません。
「マインドセットを変える」という自己啓発用語があるのですが、そういうことなのかなと思いました。ちょっと作業もくたびれてきていたので、円さんと一緒にどういう考え方にすればこのケーブルをうまく整理できるのだろうかという話をしました。
・今必要としなくて買おうとすれば手に入るものはいったん手放す
・もし中古品として販売することを考えれば線の種類の記載だとか使用可能かとかを調べないといけなから販売のことは考えない
実際はこの2つの考え方を自分が受け入れられるかだけのような気がします。
今日はこの作業は出来なかったので明日に持ち越しますが、なんとしてもやり遂げたいなあと思っています。
ケーブルの処理はゴミとして捨てるのではなくできればリサイクルに回ればいいのになあとは思います。ちょっと参考になるサイトがあったのでリンクをしておきます。
そんな感じでまあまあゲェゲェしながら作業をしているのですが、その作業を乗り越えられるのは円さんがこの作業をとても羨ましがっているのを見ているからかも知れません。「ああ、私ん所も片付けたい〜」と言っている円さんを横目で見ては「今が辛抱この先にきっと楽園があるに違いない」と思うのがささやかな作業中のストレス発散になっています。
作業で大事なことは「いかに休憩をきちんと取るか」だと思います。
今日は「元カノよおさらば〜」がスローガンで作業していたのですが、お昼休みの時も元カノの話になり、真奈美さんと円さんの前で元カノの話をするのをかなりエネルギー消耗しました。
今の奥さんと出会えていまも一緒にいてくれてることに感謝します。
ありがとうございます
過去の思い出をどのように手放すか、どういう言い方で過去を語るのか、そんな今まで少しも気にしなかったことも今回の作業を通じて「何か関係する」ということだけは分かってきました
でも答えはわからないので先生にも聞いてみようと思います