手放すものは何か

皆さんこんにちは。

あまねです。

ご縁あっていまこのページをご覧の皆さま、

本日もお読みくださり。

本当にありがとうございます。

今朝は真奈美さんとなぜ僕は日記や高校の模試の成績表を捨てれないんだろうという話をしていました。

そこで言われたのが、

「その頃は順位があって、点数があって、学歴があってと自分を世の中で順列できるものがあったからじゃないの?その後の人生じゃ自分の評価をそういう風にしてくれるものがないから」

ああ、それは言われてみればそうかなあと思いました。

前回の円さんと一緒にやった時に思い出せなかった円さんの一言があって、それを後ほど教えてもらったのですが、「ケーブルを取っておいた自分を責めないでほしい。」でした。

高校生あるあるで今の社会何かおかしいぞと思っていました。特にこの受験戦争と学歴社会。

でも、親の期待だとか自分自身そこから外れたくないとかそういう想いの中で自分を納得させたのが、「とりあえずやることやってそれからが自分の本当の人生だ」っていう考えでした。

なのでとっても複雑な自分がいるんだなと思います。「否定してるけどすがりついてもいる」そんなものなんでしょう。なので、円さんに「責めないで」て言われて、責めてないけど否定しがちなんだよなと思いました。

明日円さんが来るので少しでも宿題をしようと思いましたが、あまり進みませんでした。

でも、中学生くらいから書いていて大事に残していた日記たちはこのように

すっかりきれいさっぱり処分しました。

ちょっとパラパラしたら「これってこれはこれで記録だよな〜」とは思いましたが、捨てた先の自分の人生がどうなるか冒険してみました。