物を捨てられない理由がちょっとわかったかも 自分の場合

皆さんこんにちは。

あまねです。

ご縁あっていまこのページをご覧の皆さま、

本日もお読みくださり。

本当にありがとうございます。

本日も円さんの出勤日で午前の2時間だったのですが、整理収納大作戦を一緒に実行しました。

今回はかなり個人的に精神的にきつく重い作業になりました。前回のブログであんなにテンポよく報告できたのとは打って変わって個人的にはため息ばかりついていました。

この時はノリノリだったんですけどね…

実際の作業としてはさほど今までと変わりありません。一目見て分からない(ラベリングしてないとか)引き出しとかの中身を仕分けする作業です。

そして実は前回思い切って捨てたLANケーブルを密かにまた引き出しに戻していたのです。

そんなところからまたなぜ捨てられないのかという話になりました。

戻した理由は「けどこれって誰か必要な人いるかもしれないし」という気持ちでした。それを言うと円さんに「いやでも、出品なりリサイクルするならそのためにいろんな手間暇時間ってかかるじゃないですか?そういうことも考えてそれでも残すか捨てるかを判断しましょう。」って言われました。

その時はちょっとムッとなりました。使えるものを捨てるということは自分が手間暇で損してもいいことではないのだろうかとムキになってしまいました。(言わなかったけど)でも、その直前に同じようなもので捨てれてるものがあるので、「けどこれって誰か必要な人いるかもしれないし」というのはきっと表面的な理由でもっと奥に隠された理由があるんじゃないかなと思いそのことを円さんにはぶつけてみました。

そうすると、「私の残す残さないの基準は、今これがいるかいらないか、そして今後これよりもっといいものを手にしたいと思えるかどうかです」というような返事が返ってきました。

そういう基準ではLANケーブルなんて絶対に必要じゃないなのに捨てられないのってなぜ?という疑問が湧いてきました。

そこで自分なりに浮かんできた答えの1つが「何か過去の自分の体験で思い出になっているもの」が捨てられないのかなと思いました。LANケーブルといえば京都の会社のことと切ってもきれない関係がありました。

社員が増えたらその分のLANケーブルを買い足したり、模様替えをしてもそのために邪魔にならないように配線を変えたり、何か自分の会社の歴史とLANケーブルって切っても切れない(ギャグみたいですが笑)関係があるんだなと思いました。

きっとムッとしたのもその会社の頑張っていた時のことを捨てるように言われたように受け取ったんでしょうね。(すいません)

その過去の思い出と今ここにあるLANケーブルとは今は直接関係ないよなと思えたので再度ゴミ袋に行きました。

「ひょっとしたら使うかも」とか「スペースが空いているからとりあえず」という気持ちがあって残しているものばかりなんです。

そしてまた今回も衝撃的な出来事が!まず第一弾。

それはちょっとメモをしようと思った時に、円さんのペンを借りて書いた時です。すかさず円さんに「こんなにいっぱいものがあるのに今一番必要なペンがなくて私のを今借りたんですよ。」と指摘されました。(もう少しやんわりした言い方でしたが)

こういうのはショックですね〜 でも本当現実的に そうなんです。ペンがなくて見回したら円さんの机にあったのでそれを使ったのでした。じわじわといろんな自分のそういう状況が走馬灯のように頭をよぎっていきます。「ひょっとしたら使うかも」とか「スペースが空いているからとりあえず」と思っているものが今すぐまさに必要なものを探す手間を生み出している。自分の生き様なんかまで全くそうだよなあって気になって相当落ち込んでしまいました。

するとすかさず、「それはそれで自分はそういう面もあるってことでそんなに否定しなくていいですよ。」と円さんが優しい声をかけれくれたのですが、全然自分の耳には入ってきませんでした。

ここでちょっと気分転換に整理収納Tipsを「引き出しの中身の整理はまず一旦引き出しの中身を全部出してから戻すか捨てるかを分けていけば区分けもれがなくなる。」でした。

今日は時間がなくまた次回までしばらく間が空くのでそれまでの宿題を出してもらうことにしました。マスキングテープで貼った箇所の中身を区分けしておくということです。

その中に過去の日記が入ったボックスがありまして、「円さんだったらこれはどうします?」って聞くと「捨てます!」と即答されました。これが本日の衝撃第2弾!

そして「天根さんはものすごく過去を大事にしていますよね」とも言われてしまいました。

めっちゃ言われたくないことやけど、そう言われてみれば確かにそうかもしれないよな〜と思いました。

ちょっと語録的に日記の時の円さんの言葉を羅列してみると

・過去のことはすでに自分の中に入っていることなんだから日記なんて紐解かなくてもいいでしょ

・その日記みたことあるんですか?

・じゃあ今日の日付を付けておいて1年開けなかったら捨てますか?

・今の自分、これからのワクワク、それで十分じゃないですか?過去を意識するたんびになにかしらエネルギー消耗してますよ

・過去のいい言葉があるかもと言いますが、それは今じゃないですよね?

もう少しいい言葉も言ってもらえた気もしますが、概ねそんなことを指摘されました。

そんな中で円さんとの作業そっちのけで自分の中で気づいたことは、「ああ、自分、中高くらいから20代くらいまでの頑張ってきた自分のこと褒めてないんや」ってことでした。このことを言っちゃうと泣いちゃいそうな気がしたので円さんには言わなかったのですが、この部屋にあるいろんなものが「もっとあの頃の自分のことちゃんと認めてあげてよ」って訴えてくれているような気がしました。

円さんとは普通に会話もしていましたが、心の中では「ごめんな〜、ごめんな〜」と自分に声をかけていました。

小学校の4年からスパルタな学習塾に通い、なんのために勉強するのかわからないまま、とにかく難関大学に入らないといけない、それまではいろんなしたいことも我慢しないといけないそんな中、浪人してまで京大に入ったものの、入って何したらいいのかわからなくて、でも社会的に成功したいと思って、サラリーマンにもならず最初から起業して20代から社長さんと呼ばれるような人たちと交渉ごとばかりしてきた、そして同時にお坊さんの世界にも馴染んでいかないといけないというような中で自分が歯を食いしばってやってきた自分のことをきちんと過去に出来ていないんだなと思いました。

きちんと過去にできていないからこそその時の思い出や記憶を呼び覚ますようなものを捨てることはできない。実は高校の模試の結果とかも残してたりする。(「いまの自分の力量でいいのになぜそんな過去の栄光のようなものを手放せず大事にしようと思ってるのですか?」ときっと言われそうなので、言われる前にそれは捨てておこうと思います)

潜在意識はそれをちゃんとやってほしいと思っていたのかもしれません。そして、それが出来てなくて実はいつもスタートラインに立てれてないのかもとも思いました。

円さんも「こんな風に立ち止まって自分を振り返ったり自分と向き合わないといけなかったら自分1人で整理収納なんてできませんね」と言われましたが、本当に今日もそうだなと思いました。

僕自身に内観の経験があるので整理1つでここまでのことに気づくというのはあると思うのですが、だからお金を払ってでも整理収納アドバイザーと一緒にすることはやるだけの意味は十分あるんだなと痛感しました。

でもそんなことに気づかなくてももっと表面的な部分でも整理は進むので、これを読んで逆に重く感じた人には自分の深掘りをするのは僕の趣味なので、もっと軽やかに楽しく整理収納をする世界もあるんだとは言っておきたいと思います。

僕の今の解決策としては、処分するものは自分の戦友だと思って

「ああ、そういえばあの時一緒に頑張ったパソコンだよね。あの時の僕ってものすごく肩に力が入ってガチガチで頭でっかちだったけどめっちゃ一生懸命頑張ってたよね。本当にありがとう。」って念じながら手放せばちょっと楽に自分で自分のことを癒しながら整理が進むんじゃないかなと思いました。

自分では前向きに生きてるって思っていたのですが、こんなに後ろ向きだったんだなってちょっとびっくりしましたが、そんな心配性の自分を認めながらもっと素敵な自分になろうと思いました。

来週円さんに「天根さんものすごく進みましたね」って褒められるように頑張ります!